Yoichi Wyeth Suzuki Blog / 鈴木よういちの日々とか。




 月末最終金曜日。
 今日はプレミアムフライデーなんだとか!

 プレミアムどころか花金とかもカンケーないワタクシ。
 今日も例外なく朝から晩まで仕事してたとさ。

 …別にひがんでいるわけじゃないので。w


 プレミアムといえば過去Evernoteにクリップしていた記事を思い出したので、載せておこうっと。


今までのラグジュアリーが物質的希少性に起因していたとするならば、ポスト資本主義社会におけるラグジュアリーは「機会に対する希少性」になるだろう。


 ぼくが
 「人と会ったり」、
 「旅行したり」、
 「イベントに顔を出したり」、
 「パーティを開催したり」、、
 そうする理由が「機会に対する希少性」を楽しんでいるから。それのみに起因する。

 真の贅沢とは「Right Time, Right Place」。
 つまりその時空間の体験価値にのみ、存在しうるのだと。


 日本はプレミアムな国だし、いつまでたってもプレミアムな国なんだろうなぁ。
 …なーんて。



Yoichi


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(以下evernote;引用)

「プレミアム」は貧乏の証し
 ─ポスト資本主義時代の起業術

037a59a3.jpg 「プレミアム」はそれ自身に「おまけ」という意味があるように、実はプレミアムを謳う商品の多くにはある種の貧乏くささが漂う。プレミアム(貧乏くさい)の反対語が「ラグジュアリー(贅沢)」になる。ラグジュアリーの最大の特徴は、「価格に根拠がない、あるいは値段をつけるのが難しい」というところにある。

文: 竹田茂
 

 「プレミアム」はそれ自身に「おまけ」という意味があるように「普及品に付加価値をつけたから価格を高くさせてね」というメッセージであることが多い。近所のスーパー(GMS)で販売している「プレミアムコーヒー」を「高級品」という意味でのプレミアムだと思う人はいないだろう(本当に美味しいコーヒーは自家焙煎に決まっている)。

 価格性能比で商品を語ることは、お買い得感以外にたいしたセールスポイントがないということに他ならない。「ガソリンが20リッターあるから御殿場まで足を延ばそう」というふざけたヤツと友達になりたいとは思わないが、プレミアムという言葉のマーケティング上の使い方はこれに近いのが実態だ。「プレミアム」が大量生産されている時点でもはや何かがおかしい。我々の身の回りにある「プレミアム」を謳う商品の多くにはある種の貧乏くささが漂う。

 価格に対するスタンスという意味において「プレミアム(=貧乏くさい)」の反対語が「ラグジュアリー(=贅沢)」になる。ラグジュアリーの最大の特徴は「価格に根拠がない、あるいは値段をつけるのが難しい」というところにある。フェラーリはコストを積み上げただけではあの金額にはならない。「不特定多数の方に販売したいわけではない」という、価格による強烈なメッセージだと受け止めるのが正解だ。ただ、従来のラグジュアリーの最大の弱点は「高価格方向にしかブレていない」という点にあった。これは主に物質的希少性を根拠としている。

 今までのラグジュアリーが物質的希少性に起因していたとするなら、ポスト資本主義社会におけるラグジュアリーは「機会に対する希少性」になるだろう。その場に居合わせないと遭遇できない自然現象や偶然の出会いなどがこれに該当する。「縁側で、中秋の名月を鑑賞しつつ団子を食う」は、物質的希少性もなければ目玉が飛び出るような価格がついているわけではないにもかかわらず、天候さえよければかなり贅沢だ(と筆者は思う)。ただし天候はコントロールできないので、それ自体の希少性は自然に委ねることになる。AKB48の「握手券」なども、機会に対する希少性という意味ではとても贅沢な企画なのだろう(個人的には興味ないが)。

 機会に対する希少性の特徴、そしてその健全性は、価値のクラス分け、すなわち比較が難しいという点にある(中秋の名月と握手券を比較することになんの意味もない)。それに比べ「いつかはクラウン(さすがのトヨタもこのセリフは封印したようだ)」にはクラウンこそが頂点であり、そこに到達すべく着実にクラスを上げて行きましょう、という比較優位を前提にした貧乏くさい価値観が鮮明だ。ファッション業界にもディスクリートラグジュアリー(discreet luxury :主張しない、控えめなラグジュアリー)を標榜する妙なブランドがあるらしいが、この「他人からの視線をとても気にした」言葉を使った時点でラグジュアリーを語る資格はないように思う。

 本来ラグジュアリーは、かなり民主的(=価値観の適度な分散)なものだったのではないだろうか。それが一部の高価格ブランドとパッケージされ、クラスの頂点にあるかのようなマーケティングが施されてしまっただけの話だ。機会に対する希少性が重視されるようになれば、みんなの手にラグジュアリーを取り戻すときに必要なのはカネではなく時間だということが理解されるようになる。

 というわけで、今までのビジネスは「顧客に何を提供してあげたら彼らが儲かるだろうか」という視点から提供されるサービスを軸に展開されていたわけだが、今後はこれに加えて(あるいはこれに代わって)「顧客の失われた時間を取り戻してあげる」ようなものが好まれるようになるだろう。

 今年の夏に、かなり久々に上高地に出かけた。そこで「や、これはけっこう多いな」と思ったのは、欧米から来たと思われるバックパッカーたち。(歩き回ったり、山に登ったりしているので)ファッション自体はヨレヨレなものだったにもかかわらず、彼らからは「ラグジュアリー」な匂いがしていたのだ(近くに寄れば単に汗臭いだけだったはずだが)。

 ※ 註:「コストパフォーマンスという概念はラグジュアリーブランドにはない」は、筆者による斎藤氏へのインタビューを記事として構成した。今回の論考はこれを参考にして少しだけ議論を発展させてみた。

本稿はポスト資本主義時代の起業術を伝えるメディア『42/54』の提供記事です。



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