シリーズ今日のへびろて。
一枚のアルバムを手にとって過ごすひととき。
ピアニスト・グレングールド(Glenn Herbert Gould)のアンドセレニティ(And Scerenity)。
「無意識の走査による空虚な視線」かぁ。
耳をかたむけながらそっとジャケットをひらいて、音楽がひらく精神宇宙に身をゆだねる。
そんな時間も、ぼくにとってはとても大切なのです。
Yoichi
一枚のアルバムを手にとって過ごすひととき。
ピアニスト・グレングールド(Glenn Herbert Gould)のアンドセレニティ(And Scerenity)。
その素晴らしい音楽性もさることながらライナーノーツに興味が惹かれる部分があったので、メモをかねて引用しておこう。
オーストリア出身のイギリスの心理学者アントン・エーレンツヴァイク(Anton Ehrenzweig, 1908-1966)は、芸術理論の古典的名著「芸術の隠された秩序(The Hidden Order of Art)」の中で、焦点の定まらない注視、すなわち「無意識の走査による空虚な視線」について述べている。画家や演奏家は、この「無意識の走査」によって、芸術作品の全体像を把握することができ、しかも細部に引きずられることがない。偉大な芸術家にとって、細部への注視とは、無意識のレヴェルで営まれる自然なプロセスであるという。グレン・グールドの演奏とは、ポリフォニーに対する彼独特の「注視」が展開されたものであり、精緻な技術と、情緒豊かな知性が並外れて集積される一方で、分析を超えて至福の境地に達するような、作品構造全体へのエクスタティックな没入が起こっている。
アンドセレニティに寄せて/デイヴィットトゥープ(David Toop)
「無意識の走査による空虚な視線」かぁ。
耳をかたむけながらそっとジャケットをひらいて、音楽がひらく精神宇宙に身をゆだねる。
そんな時間も、ぼくにとってはとても大切なのです。
さて、グレングールド自身によることばも最後に。
The purpose of art is not the release of a momentary ejection of adrenaline but is, rather, the gradual, lifelong construction of a state of wonder and serenity.Glenn Gould芸術の目的は、アドレナリンの瞬間的な放出ではなく、驚きと穏やかな心の状態を、生涯かけて築いてゆくことにある。グレン グールド
Yoichi