河津町の中心部をあとにして、河津川を遡上するように県道を天城峠方面へ。下田街道と合流してすぐのところにある「湯ヶ野」というところに。
湯ヶ野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りの下りだった。峠を越えてからは、山や空の色までが南国らしく感じられた。私と男とは絶えず話し続けて、すっかり親しくなった。荻乗や梨本なぞの小さい村里を過ぎて、湯ヶ野のわら屋根が麓に見えるようになったころ、私は下田までいっしょに旅をしたいと思い切って言った。彼は大変喜んだ。湯ヶ野の木賃宿の前で四十女が、ではお別れ、という顔をした時に、彼は言ってくれた。「この方はお連れになりたいとおっしゃるんだよ。」「それは、それは。旅は道連れ、世は情。私たちのようなつまらない者でも、ご退屈しのぎにはなりますよ。まあ上がってお休みないまし。」とむぞうさに答えた。一時間ほど休んでから、男が私を別の温泉宿へ案内してくれた。それまでは私も芸人たちと同じ木賃宿に泊まることとばかり思っていたのだった。私たちは街道から石ころ路や石段を一町ばかりおりて、小川のほとりにある共同湯の横の橋を渡った。橋の向こうは温泉宿の庭だった。
時が止まったように、ここは「伊豆の踊子」の世界観そのままだ。
一高生(川端康成)が泊まったという湯ヶ野温泉・福田屋もちゃんと現存していた。
福田屋の古建築をすぐ近くで舐めまわすように見入っていたところ、突然ガラガラガラと玄関の引き戸が開いて住職のようなご主人とハタっと目が合った。
「あれっ営業してるんですか?」…宿泊客がいるので部屋の見学はできないそうだが、快く中に招いてくださった。…ていうか現在でも旅館営業してるんだ。すごいな。w
何度も映像化された作品(ぼくは吉永小百合さんと山口百恵さんのを観たことがある)、記念の資料をみているだけでも楽しい。昭和のスターも皆、ここに来てたんだ。
ここは外国人宿泊者が多いよう。時折フロントの向こうの黒電話がかまびすしく鳴って(懐かしい音!)、流暢な英語でご主人が予約受付をしているようだった。
日本人が忘れかけている古き良き温泉宿。いつか泊まってみたいなぁ。
耳にやさしい清流のせせらぎ。そして美しい桜と橋(湯ヶ野橋)。
いいところだ、ここは。
河津町の中心部・桜見物にはあれほど人が押しかけるというのに、このあたりは人とすれ違うことがほとんどない。最近「国民宿舎かわづ」もなくなってしまったようで、人の気配が全くない。
福田屋の対岸も歩道が整備されてるのでブラブラと。
めずらしく向こうの方から女性がヒトリ歩いてきたので思わずナンパ。昭和2年生まれ・90歳のおばあちゃん😄
・昭和初期はとても賑やかだった。食堂や宿もたくさんあった(今は福田屋ふくめて数えるほど)。・昔はこどもがいっぱいいた。いまはいない。・こどものころは川岸に温泉が自然にわいていた。夏に川遊びをして交互に入っていた。・共同浴場(温泉)は今もあって、今日も入浴してきた。
湯ヶ野で生まれて湯ヶ野から出たことがないというおばあちゃん。お肌はツルツルだった。
伊豆の踊子の名シーンのひとつ「踊子が裸で飛び出して手を振った」という共同浴場も、連綿と稼働し続けているんだなぁ。すごい。
美しい河津桜が後光のように輝いていた。この豊かな環境で齢を重ねるのって素敵かも。しばらく立ち話してしまった…本当にありがとうございました。
旅行者…つまり「じぶんにとっての非日常 」と、旅行先で普段過ごしている方…つまり「だれかにとっての日常」との交差点。そんなコミュニケーションってホント好き。
Yoichi